ここから本文 少し、長くなりますが。
みつろうぺん設計図
2004年6月3日
それは、一通のFAXからはじまりました。

「筆先から溶かした蜜蝋が出る絵筆を作ってもらえませんか?」
香川県立盲学校で美術を教える栗田晃宜(あきよし)先生は、盲学校に赴任してこの進んだ世の中で視覚しょうがい者が使える絵筆がないことに愕然としたそうです。


栗田先生の写真 何とか視覚しょうがいの子供達が絵画の細かい筆のタッチを理解し、絵画の本質をイメージできる方法はないかと考えた先生は、蜜蝋を湯煎に溶かし、毛筆で有名な絵画を模写し、蝋の凸凹をさわって絵を理解してもらおうとしていたそうですが、蝋はすぐ固まり長い線は描けなかったそうです。
そこで、栗田先生は、溶かした蜜蝋が出る絵筆が作れないかと全国の会社10社にメールを出したそうです。
そのメールは、わたしの会社がある大田区の町工場の仕事仲間にも届きました。
わたしの会社は東京大田区の下丸子という町にあります。

工場の写真 多摩川沿いのこの町には、町工場といわれる現場従業員3人以下の小さな工場が集積しています。精密で高度な金属加工の技術を持った会社が多く、日本の産業を支えているといわれる「ものづくり」の町です。
40年前にこの土地で町工場をはじめたわたしの父親は、「不可能を可能にする」が口癖でした。
その父が6年前に他界し、わたしは会社を継ぐことになりましたが、困っている人を見たら、放っておけない父の性格も譲り受けました。

メールを受け取った仕事仲間から栗田先生の話しを聞き、何とか町工場の技術で先生の思いに答えられないかとその日から試行錯誤の「触図筆ペン」の開発がはじまりました。
先生と交わしたメールは数百通。

触図筆ペンは、アルミ製の筒をフィルム型のヒーターで包み、筒の後ろから蝋を入れると、ヒーターで溶けた蝋が筆先から出るようになっています。温度センサーを筒につけ一定の温度(70℃)に保つようにできていて断熱材で覆っているので、安全に使ってもらえます。
ペンを使って紙に字や絵を描くと、10秒から20秒ほどで蝋は完全にかたまり、自分で描いた絵や文字を触って確認できます。
修正したい場合は定規やへらで削り取ることができて、削り取った蝋は、筒の中に戻して溶かして再利用もできます。
ほとんどの素材の紙に描くことができ、プラスチックやガラスにも描くことができます。

みつろうぺんを使っている人の写真 また、インクに用いる蜜蝋(商品:蜜蝋粘土)は蜂の巣から取れるワックスが主原料で子供が間違って口にしても安全な素材です。また、保存性も高く、劣化せずに100年から200年はもつと言われています。

ペンの持ち手の動かし方で、線は太くも細くもなります。意図的に線をコントロールするには少し時間がかかる人もいますが、個性のある味わい深い線を自由に描くことができます。

触図筆ペンで何を描いていいか分からないと最初言っていた視覚しょうがい者の方が最後は楽しそうに絵を描いている姿を見るとうれしくなります。

みつろう粘土の写真
ある展覧会で視覚しょうがい者の方のための触図筆ペンのワークショップをしていたときのことです。
一人の晴眼者の青年がやってきて、自分も何か描いてもいいですか?と聞きました。「もちろんです」と答えて彼に画用紙を渡すと、几帳面な大きな字で「お誕生日おめでとう」と書きました。彼女にでもあげるのかときくと、「お母さんにです」という答えがかえってきました。
青年は、うれしそうに何度も自分の書いた文字を手でなぞり、大切そうに画用紙を鞄にしまって帰っていきました。
視覚にしょうがいのあるお母さんへの息子からの誕生日カードだったのでしょうか?
みつろうぺんを使っている人の写真

栗田先生からいただいたFAXから8年の月日が流れました。
視覚しょうがい者の方の絵筆として開発された触図筆ペンですが、全国をまわってワークショップをするうちに、目の見える人と見えない人とのコミュニケーションの道具として幅広く使っていただけることもわかってきました。
触図筆ペンを体験された方がこのペンを通して少しでも自分の可能性や世界を広げることができ、楽しんでもらえることを願いながらこれからも開発を続けていきたいと思っています。
将来、この触図筆ペンを使って育った視覚にしょうがいのある子供の中から画家や美術を目指す人がでることも大きな夢でもあります。

田中隆 写真



有限会社安久工機(ヤスヒサコウキ)

代表取締役 田中 隆





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